『 春琴抄 』 原作 谷崎潤一郎

___ 東京公演/上海公演/北京公演/モスクワ公演 ___










『上海画報』掲載記事より(翻訳版)

日本歌舞伎「坂東流」伝承者坂東扇菊インタビュー

5月、上海で公演された日本の演劇『春琴抄』において、坂東扇菊は一人二役をこなした。彼女の願いは演劇との結合を通じて自己の舞踊芸術を広めることだ。

本番前に化粧室を訪ねると、坂東扇菊はすでに顔に厚く白粉を塗っていた。彼女は笑わずに、私たちに軽くうなずくだけである。
化粧台の前に座る坂東扇菊、眩しい灯り、おしろいを塗った青白い顔。彼女は一番細い化粧筆を手に取ると、鏡の中の自分に向かい、下まぶたに鮮やかな紅を丁寧に描き、小さな唇を描く。たちまち表情が凛と鮮やかに生き生きとし始め、彼女の40数歳という年齢が隠れ去る。
30分後、坂東扇菊は17歳の盲目の女性春琴となって、上海話劇芸術センターの舞台に現れた。三味線のもの寂しげな音色とともに、彼女は盲目の女性「春琴」のコンプレックスとプライド、猜疑心と孤立した矛盾を余すところなく表現した。

5月下旬、演劇『春琴抄』の舞台に集まった観客層は様々だった。演劇愛好者、原作の作者である谷崎潤一郎の読者、映画『春琴抄』―1976年に上映された同名の映画において、山口百江が盲目の女性春琴を美しく我侭な女性として演じ、女性の内に潜む感情:自尊心、コンプレックス、横暴さ、猜疑心、独占欲、孤独を強調した―のファンもいる。
しかし、坂東扇菊による春琴は間違いなくさらなる衝撃をもたらした。彼女は二人の役柄を演じた。我侭勝手な少女と年老いた母親、それが彼女の舞台の上で臨機応変に現れる。この芝居のクライマックスにおいて―金持ちの息子による強姦が未遂に終わり、煮えたぎった熱湯をかけられたことで春琴の体は焼けただれ、春琴は舞台の奥に倒れこみ、絶望して紅い着物を脱ぎ、白い上半身をさらけ出す。
私の舞台生涯において、‘春琴’は一つの試練でした。」このシーンについて話す坂東扇菊は、中年女性の姿に戻っている。背をまっすぐに伸ばし、軽やかに手にした扇子をあおぐ。彼女から伝統的な日本女性の特徴―しなやかな挙止、柔らかな話し方、敏感な問題を尋ねられた時に時折現れるはにかみ―を明らかに感じとることができる。舞台の上でのあの時にヒステリー、時に孤立した盲目の女性と比べて、彼女の演技力に感嘆せざるを得ない。
坂東扇菊のプロフィールを見てみると、実は現代演劇に関する経験はあまりない。日本の歌舞伎五大流派の一つである‘坂東流’の伝承者として、彼女には伝統舞踊継承者というさら重要な役割がある。3歳から芸を学び、15歳で"坂東扇菊"の芸名をもらい、彼女が歩んできたのは伝統的な芸の道だった。彼女は、パリ、モスクワ、ルーマニア、ノルウェーなどの地で演じ、世界各国の観客たちに日本の伝統を知らしめた。しかし彼女自身はまだ努力が足りないと感じている。
『春琴抄』のパンフレットにはこのような一文がある。「この演劇を通じて、中国の皆さんに失われつつある日本文化を味わってほしい…日本文化の美しさをもう一度感じてほしい」。坂東扇菊はこれに深く賛同の意を示す。「私たちが古典劇と現代演劇の結合を試みたのは、伝統芸術に新しい生命力を与えたかったからです」。彼女は現代演劇と古典劇の結合を通じて、「演劇の観客を魅了し、伝統を広める」効果を期待している。
「本当の日本の舞踊を中国に持ってきたいですね。でも少し心配です。中国の観客の皆さんは気に入ってくださるかしら?」少女のようにはにかみながら、坂東扇菊はさぐるように尋ねた。

B=『上海画報』  S=坂東扇菊
B:春琴がやけどをしてから、扇菊さんは舞台の上で半裸になってこの苦しみを表現されました。その他の『春琴抄』を改編して作られたものの中では普通このシーンはありません。このかなり激しい表現は必ず必要だったと思われますか?
S:谷崎潤一郎の小説には、隠された性と激しい感情が描かれています。映画と舞台は違います。映画では佐助が春琴のために髪の毛を梳かしたり、化粧をしたり、入浴を手伝ったりするようなシーンをリアルに表現することができますが、舞台ではこうしたお互い頼りあっている感情を細かく表現するのは難しいのです。
小説には抑圧された雰囲気があって、舞台の上では、男女間のやりとりや、強姦や服を脱いで薬を塗るなどといったことを表現してこそこの雰囲気が作られると思います。裸は性の抑圧と解放を表現しています、それは性欲ではなく、美しさであり、二人のお互いが信じあって、頼りあっている関係を表しています。私にとってもこれは舞台生涯で始めての試練でした。

B:女性として、春琴という役をどのようにお考えですか。

S:春琴は矛盾した女性です、盲人としてコンプレックスをもちながら、美しい女性のプライドと傲慢さを持っています、だから愛を利用して人をさいなめるのです。実は小説が描いている時代(1800年前後の江戸後期)、日本女性の地位は低く、女性はこのようにはっきりとした自我意識を持っていませんでした、しかし谷崎潤一郎は春琴を強い女権意識を持った女性として描きました。私はこの役柄が大変気に入っています、彼女はとても魅力的です。

B:日本の歌舞伎の誕生は江戸時代(1615−1865)で、小説の舞台とも近いですが、こういった要因もあって、古典劇を現代演劇『春琴抄』に取り入られたのですか?

S:そういう考えもありますが、『春琴抄』の中の古典劇は純粋なものではありません。『春琴抄』で追求したのはリアリズムですが、古典劇はとても様式的なものです。私は伝統芸の役者ですが、リアリズム劇を演じることは数少ないです。古典劇の様式と小説の写実性を結合させるのが私にとって難しい点でした。

B:坂東扇菊さんは15歳で‘坂東扇菊’の芸名を受けたとのことですが、これは何を意味しているのですか。

S:坂東流から認められた人だけが、芸名をもらえる資格があります。私は最年少で芸名を頂きました。
当時は多くの親が娘に歌舞伎や生け花や茶道を慣わせていました。この年代の日本人は、こうしたものが少女の成長期に備えておくべき作法だと考えていたのです。

B:三島由紀夫についてですが、扇菊さんは彼の劇団に初めて参加した人たちの中の一人なのですよね。

S:ええ、私が彼の劇団に参加したのは古典の修業とは関係ありません。完全に私のお芝居への情熱からです。
谷崎潤一郎先生と三島由紀夫先生は私が最も愛し、尊敬している日本作家で、若いときから彼らの作品を拝読していました。私にとって三島由紀夫先生はいつも遠くにいらっしゃる方で、神様のような方でした。稽古をしているときに姿を現すこともありましたが、遠くに立っているだけで、彼と話をすることもできませんでした。

B:三島由紀夫の当時の割腹自殺は日本を騒がせましたが、扇菊さんはどうお考えですか。

S:そうですね。三島先生は他人が簡単に理解できる方ではありません。彼の最後は、先生らしい選択だったと思います。