「 能楽空間と舞踊と一中節 」

__ 2014年11月2日 __

一中節 「天の網島」

出演 紀伊國屋小春    坂東扇菊
紙屋治兵衛    西川扇与一
演奏 都了中    都一桜
振付 坂東扇菊

1720年に大阪竹本座で初演された、近松門左衛門の「心中天の網島」は、現代でも大変に有名な物語ですが、近松の原作のまま上演されることはすぐに途絶え、その時に作曲された義太夫節も完全に忘れ去られてしまいました。 初演から100年近く経った文政年間に、五代目都一中の相三味線の初代菅野序遊が偶然近松の原文を発見し作曲したのがこの作品です。 当時は江戸歌舞伎の全盛期で、一般の庶民には近松の原文は上等過ぎ、音楽的にも一中節は高度過ぎて理解されませんでしたが、爛熟退廃的な当時の流行に眉を顰める大店の大旦那などの知的教養階級には大変喜ばれ、現代まで続く一中節の方向性を決定づける作品となりました。 この度はその作品に振付をし、舞踊として発表いたします。

一中節 「都見物左衛門」

出演 坂東勝友  坂東扇菊
演奏 都了中 都一桜
振付 坂東勝友  坂東扇菊

元禄時代の京の都の名物を紹介している内容の曲で、今もある、粽の川端道喜、香煎の原了郭、二軒茶屋の中村楼なども紹介されています。特に方広寺の巨大な大仏を見て「あの両の手の大きさで銭が百しめてもらいたい まことに仏を拝んでから思わぬ欲がおこりました」と、僧侶であった初代都一中が音楽によって感得した、こだわりの一切ない素直な心で仏教の真髄を述べています。 この曲の洒落た語り口を生かした面白みを舞踊で如何に表現するかが見所でしょう。

一中節「天の網島」歌詞

 草場に落る露よりも もろきふたりが玉の緒や
南無網島の大長寺 藪のそともにどうどうと
流れみなぎる樋の上を 最期所とつきにけり
なふいつ迠うかうかあゆみても
爰ぞ人の死に場迚 定りし所もなし
いざいざ爰を往生場と 手を取土に座しければ

「さればこそ 死に場はいづこも
おなじ事とは云ながら わたしが道々思ふにも
ふたりが死に顔ならべて 小春と 次兵衛と心中と沙汰有ば
お三様より頼にて 殺してくれるな 殺すまいと
あいさつきっととりかはせし 其文を反古にし
大事の男を そそのかしての心中は
さすが 一座流れの勤の者 義理しらず いつわり者と
世の人の千人 万人より お三様ひとりのさげしみうらみ
ねたみもさぞと思ひやり 未来の迷いは是一つ
わたしをここで殺して こなさんどこぞ所を替」

ついと脇でと打もたれ くどけばともにくどき泣

「アァぐちな事ばかり お三は舅に取かへされ
暇をやれば他人と他人 離別の女に何の義理 
道すがらもいう通り 今度の今度の ずんどこんどの先の世迠も
女夫と契るこのふたり 枕をならべて死るに たれがそしる」

誰がねたむ サァ其離別は誰が業
わしよりこなさん猶ぐちな 所々の死にをして
たとえこの身は鳶 烏に つつかれても
ふたりが魂つきまつはり 地獄へも極楽へも
連立て下さんせと 又伏しづみなきければ

「ヲヲそれよそれよ このからだは地水火風
死ぬれば空に返る後生七せう くちせぬ夫婦が魂
放れぬしるし合点か」と 

脇差すばと抜はなし 元結ぎはより我黒髪 ふつつと切って
「是見や小春 この髪の有る内は 紙や次兵衛と云さんが夫
髪きつたれば 出家の身」

三界の家を出 妻子珍宝ふずいしやの法師
「お三という女房なければ おぬしが立る義理もなし」と

涙ながらに投出す 「ヲヲ嬉しうござんす」と

小春も脇差し取上て 洗つすいつ撫つけし
むごやをしげも投嶋田 はらりと切って投捨る 枯野の薄夜半の霜
ともに乱るるあはれさよ うき世をのがれし尼法師

 其かかえ帯 こなたへと 
若紫の色も香も 無常の風にちりめんの
この世あの世のふたへまわり 樋のまな板木にしつかとくくり
先を結んで狩場のきじの 妻ゆえ我も 首しめくくる罠結び
我とわが身の死にごしらえ 見るに目もくれ心くれ

「首くくるも喉つくも 死ぬるにおろかのある物か
西へ西へ行月を 如来と拝み目を放さず 
只西方をわすりやんなへ 心残りの事あらば云て死にや」

「何にもない ない こなさん定めて 
ふたりの子達の事が 氣にかかろの」 

「アレまたひょんなこといい出してなかしやるの」

てて親が今 死ぬるとも 何心なくすやすやと
可愛や寝顔を見るやうな 是ばつかりはわすれぬと 
かつはとふして 泣しづむ

 むくひとは誰がわざ 我ゆへつらき死をとぐる 
ゆるしてくれとだきよすれば いやわしゆへとしめ寄て
かほと かほとを打かさね 涙にとづるびんの髪 野辺の嵐に氷けり

 後にひびく大長寺の鐘の声 なむ三宝ながき夜も
夫婦が命のみしか夜と 早明わたるじんぜうに 最期は今ぞと引寄て
あとまで残る死顔に泣顔残すな のこさじと につと笑顔のしろじろと
霜にこごへて手もふるひ 我から先に目もくらみ 
刃のたてども 泣なみだ 
アァ せくまいせくまい 早ふ早ふと女がいさめを ちから草
風誘ひくる念仏は 我をすすむる南無あみだ
弥陀の利剱と ぐっとさされて引すへても のりかへり
七転八倒こはいかに 切先咽のふへをはづれ
死にもやらざる最期のごう苦 供にみだれて くるしみの
氣を取直し引寄て 差通したる一ト刀
ゑぐるくるしきあかつきの 見果てぬ夢は消はてたり

 頭北面西うきやうかに 羽織打きせ死かいをつくろい
泣てつきせぬ名残の袂
見すててかかへをたぐりよせ 首に罠を引かくる 寺の念佛も切り回向
有縁 無縁 ないし 法界平等の
声を限りに樋の上より 一連たくせう南無阿弥陀仏とふみ
  はづし しばしくるしむなりひさご 風にゆらるるごとくにて
次第にたゆるこきうのみち いきせきとむる樋の口に
この世のゑんはきれはてたり

 朝出の漁夫が網の目に 見付て死んだやれしんだ
出あへ出あへと声々に いい廣けたるもの語  直に成沸とくだつの
誓の 網じま心中と 目毎に涙をかけにける

照明 森規幸(balance,inc.DESIGN)
主催 NPO法人 舞台21
juin2004 Art Corporation
協力 銕仙会能楽研修所
都一中音楽文化研究所
東京舞台企画